最近感じ取っていること、意識の転換として明確に向かっている先として、掲題のタイトルがある。
これには異論がある人が多いと思う。
- 何かの道があるべきだ
- ひとつでないのは情熱がない
と。
そのように思う人は、それでいいと思う。
ただし、私はこれを自覚的にやることにし、様々な手段で、エネルギーワークや、実際の行動、情報の収集などで、行うことにした。
吉と出るか凶と出るかは、まあ、吉と出ると信じているから、しているのだが…
あえて、このようにした理由を下記に残しておく。
まず、霊視で見たところ…
なんて仰々しく言うまでもなく、この生成AIが始まった時代だ。
技術発展による世界の変化を、頭で考えていくだけでも、こんな未来が想定できるのではないか。
つまり。
- 今や、いわゆるホワイトカラーの知的労働は。
- 無限の体力を誇る生成AIで、一定の精度で単純作業の再現・遂行どころか。
- 複雑な作業や、高度な創造も、改善、創出できるようになってきた。
今後、AIによる、AIの改善は更に加速していく。
と言うより、すでにそうなった。
生成AIの利用率 10% 未満という後進国日本では知られていないが。
既に最新の生成AIシステムは、9割が自分自身(生成AI)によって記述されているものがある。※Claude Code
2025年の半ばでこれだ。
来年、再来年は更に加速していく。
そして、更に現れてきた、生成AIの最新トレンドは、オーケストレーションと呼ばれるもの。
これは、複数の生成AIを、自動化した管理システムの中で、まるで指揮官、指揮者のように、統率しながらタスクを完了させていく利用法だ。
生成AIと最も相性の良いプログラミングの分野では既に実現され、急激に加速している。
このトレンドは、他のあらゆる分野に加速するだろう。
つまり、私たちは、タスクの遂行者から、誰もが指揮官になることを求められている。
しかし、まずはデジタル空間の中だけである。
なら、アナログ空間、手芸が必要な分野なら安泰か。
これも違う。なぜなら、学習プロセスの最適化が更に加速するからだ。
既に膨大な量の「講師」たちが、YouTubeなどで「講座」を公開している。
マンツーやグループの授業もオンラインで行える。
動画制作、デザイン、絵、プログラミングetc…ありとあらゆる分野。
この世界で「講師業」が更に加速していくのは間違いない。
が、「加速させられる」のは講師だけでなく、生徒側であることも、間違いない。
私たちは「学習」を加速させられる。
つまり、素早くマルチに、使える程度の一人前になることを求められる分野が到来するのだ。
もちろん学習曲線は80%を超えたら指数関数的なグラフを描いて難易度が高まると言う話はよくある。(詳しい話は忘れたが)
とは言え、使える人間になる程度の8割までは、高速な習熟を求められるのだ。
昔なら「手に職がある」と呼ばれた能力の閾値まで、「さっさと行け」と社会に要請される世界観となるだろう。
となると、私たちが求められる有様は、マルチなスキルを手に職として持ちながら、さらには指揮官として推論機械たちを運用して、高度な生産性の発揮する状態だ。
誰もが、このようなところまで、引き上げられていく。
それは別に陰謀でも、恐ろしい変革でもない。
雨が降ったら傘をさす、こんなことに誰も文句を言わないように。
というのが、別に霊視でもない、単なる頭で考えたことだ。
狭い知識と低速な言語生成を行う「小規模言語モデル(脳)」である私の推論に過ぎない。
もしかしたら、大したエビデンスもないので、間違ってるかもしれない。
なぜなら、素晴らしいデータセットを持った大規模言語モデルのように、論文などを参照してるわけでもないので。
とはいえ、人間には直感や直観などの、多様な機能があり、そちらで何かを感じ取っている。
という、御託はいいので話を霊視に飛ばすと、
やはり「風の時代」と呼ばれた変化があるように観える。
つまり、一つの人物が、ある固定化した……
そう、昔ならば
- 「良い大学、良い会社」と呼ばれた、固定化され、何年も続く「スタンダードな有様」で生きたように
- ある人が、結婚して子供を作り、主婦となったとき「私は主婦をしてます」と、語ったように
- ある人が、専門部署で部長をしてたときに、「私は製造業の部長で、父親です」と、語ったように
人間を、ひとつのラベル、あるいは、「複数のラベル」だけで表現する時代が、どうやら、もはや完全な終わりを告げていくようだ。
以前から、早い人は終わりを感じ取っていただろう。
直観や、星回りではなくとも。
ビジネス書や、「個人ではなく分人の時代」といったキャッチーな新書を読んで、見抜いていた人もいる。
政治的に、厚労省が公に副業の推奨をするのを見て、「変わるのだな」と社会予測をした人もいると思う。
今までも鼻が効く人たちは、新しい時代の風を感じ取っていた。
しかし、今は鼻が効くとか、そんな話ではなく、シンプルに終わりが来たのだ。
かつての時代が終わって、次が来た。
だから。
このような変化の時に、いちいち抵抗してる人もいなくなる。
「投資なんて怪しいだろ」と言ってた人が、「俺もNISA初めてさ」と語るように。
それで良い。
これから、みんな、そうなっていく。
頑固だった人が変わり、批判的だった人も変わる。
そんなもんである。
スティーブ・ジョブズは「高性能な手の平返し」を極めて、現実歪曲空間と呼ばれた技を作り出した。
朝令暮改。
いちいち他人の手の平返しを気にしてる暇があれば、自分のことをしてれば良い。
そして、これからは他人の言っている一貫性も、見れなくなる。
観測できなくなるだろう。
かつての時代、例えば昭和の父親なら
- 会社では部長
- 家庭では父親
- 趣味はゴルフ
ある一貫した男らしさだとか、父親らしさなどが観測された。
「あの人は寡黙で頑固な父親だ」
と語ったように。
なぜ観測できたか?
彼に、信念があったからだろうか?
いや、違う。
ただコミュニティが同質的で、固定化されていたからに過ぎない。
会社があり、家庭があった。取引先と、昔馴染みとゴルフをした。
世界が狭く、一つのラインに誰もが乗っていたのだ。
その単一の世界では、ある誰かは、まるで全人格的に観測ができた。
しかし、これからは異なる。
世界線は分かれ、複雑化していく。
それは、現実的には膨大な小コミュニティの集合体で形成された世界のように、現れてくるだろう。
誰もが共有する、大きく、スタンダードな物語は失われて、ある程度の共通認識と、細分化された世界観の中で生きていく。
そこで、ある個人は、複数の世界に跨って生きることになる。
- 仕事、副業、コミュニティ、プライベート、学び舎、etc…
求められる在り方や、必要なTPO、知っておくべき常識も異なっていく。
そこで私たちは、画一化した個人として、人生を生きることは、やめざるを得ない。
私たちは、もっと、プリズムのように、世界から照らされた光を乱反射していくのだ。
この先に、もう
「私は、(あるラベル)です」
と言う自己紹介をして来た時代が、終わりを告げる。
だから、自分の人生を、単なる属性やラベルに還元する、あの、簡単だった生き方を、終わらせなければいけない。
だが、安心して欲しい。
自分で終わらせる努力は、必要ない。
寄って立つ地面が崩れ去っていくとき、わざわざ、自分の足元を崩す人がどこにいるのか。