先日、あるセミナーに出席したところ、講師が「マインドセットする(動詞)」という言葉遣いをしていた。
具体的には、
- 「この分野の本を3冊読み、マインドセットしたんですが」
- 「この考え方を僕は取り入れて、マインドセットしたんですよね」
と言う活用だ。
マインドセットは自己啓発の分野でよく利用される言葉で、考え方の基本的な枠組みを表し、思考様式や心理状態を指す。
例えば、企業の社員研修などでは、社員のマインドセットを変える研修なども行われているようだ。
※「マインドセット研修」でGoogle検索をすると出てくる。新卒社員向けに、ビジネスに必要な考え方やスタンスを身につけたり、主体性、相手視点、成果志向などを向上させるといった目的の研修、講義がされるようだ。
ただ、自発的に受講した講座ではない、社員研修などではやらされ感のあるニュアンスが出てくるだろう。
「こういう方向に自分の意識を変えなければならないのかよ、けっ」と。
一方で、自発的に受講したセミナーや研修では、当然ながら、自分を変えるために受講するのだから、抵抗は少ないだろう。少なくとも、「従業員」が強制的に指示命令系統の中で強制される「教育」よりは、抵抗が減少する。
もっと、露骨に言うならば、「自発的に受講したセミナーや研修」は何らかの新規・未知の情報を教育を通じて得ることで、教育に基づいた思考様式や心理状態に恒久的に自分を変化させることを、金銭対価を支払って行っている。
従って、変化に抵抗をすることは、コストパフォーマンスが悪い。
今回、私は人生で初めて、「マインドセットする(動詞)」という単語の活用を目撃した。
35歳にもなって初めて知ったと言うことは、恥ずかしながら、私は世界に無知だったのかもしれない。
しかし、私はこれを積極的に取り入れていきたい、と思った。
「マインドセットする(動詞)」という単語の活用のメリットを、実例と共に示す。
まず、今までの私の間違いを示す。これは「マインドセットする(動詞)」の活用を知る前の、私の失敗談だ。
今まで、私は、マインドをセットする、つまり、マインドセットの単語が表す、思考様式や心理状態を変えるには、何らかの逡巡の上に、納得が必要だと誤解していた。
つまり、思考様式や心理状態を変更するには、以下の工程を、無自覚にも、念頭に置いていた。
- 今までの自分の思考様式を、あらためて自覚する
- その思考様式と、教育(研修や講義、セミナー)で新規に導入された情報の齟齬を洗い出す
- 齟齬がある場合、まずは、自分の今までの思考様式の、どこが問題であるか、改めて体験する
- 体験した上で、今までの思考様式は間違いであることを自覚するための試行錯誤を行う
- 試行錯誤の結果、失敗とわかるならば、否定する
- 否定した結果、過去の思考様式は廃棄可能となるので、今回の教育で獲得した、新規の思考様式を導入する
端的に言えば、これは非常に問題だ。マインドをセットするために、わざわざこんな長ったらしい工程を踏んでいたら、人間はいつまでも、目指す方向に変わらない。
一言で言えば、馬鹿の極みである。
だが、私はこれを採用していた。
しかし、ある講師の一言が、私の目を覚まさせたのだ。これが以下である。
- 「この分野の本を3冊読み、マインドセットしたんですが」
ここには、本を読んで、そこに書かれた思考様式を導入する、という極めて単純な図式が示されている。
私は、これでいいと思った。
だから、私はこれにする。
この人生は「マインドセットする(動詞)」を使っていく。
もちろん、特に掘り下げを伴うヒーリングを前提に考えると、とはいえ、潜在意識の抵抗etcを想定することも、あるかもしれない。
しかし、想定したことで、顕在意識側におけるマインドのセットを遅延させるなら、時間の浪費が起こり、アホではないか。
先にマインドセットして(動詞)、意志の力で何とかして、後から掘り下げなりして変えれば良い。
いちいち私の失敗談のような工程を踏むのは、馬鹿である。人生の無駄だ。