ここ数ヶ月、「大人のやり直し勉強」に意識が向いています。
例えば中学英文法をやり直したり、ITの「ここだけは読んどけ」的な基礎的な解説書をあらためて読んだりですね。
あるいはスピリチュアルでも、いわゆる願望実現の基本を、今でも書籍から引用される名著で読み返したり、あるいは基礎的なスピリチュアル本を読んでいます。
願望実現の名著は、例えばルー・タイスのアファメーション。エネルギーワークではないですが、ポジティブ思考を保って、将来に良いイメージを抱いて、日々を送ることで自分を変えていく基礎が、細かく、丁寧に、書かれています。
スピリチュアルの基礎本は、ジャック・アンジェロの著書2冊ですね。
とにかく、基本のキ、をやりたいフェイズになっています。
ただ、なんで、こんなに基礎だけやっていたいんだろう、勉強を言い訳に、前に進みたくないのか?と悩んでいました。
この「基礎を知りたい」件について、今時のアーリマンの動きに関してリーディングする機会を得て、納得する点が観えてきました。
アーリマン。
ルドルフ・シュタイナーの人智学で語られる悪魔存在です。
シュタイナー書籍を参考に利用するタイプのヒーリング界隈では、お馴染みかとおもいます。
ただ、ヒーリング界隈に深くコミットしていなくとも、人類に普遍的に働きかける存在なので、実は感覚的に理解していると思います。
基礎のおさらいですが、アーリマンの性質は、以下のような「人物像」に現れてきます。
例えば・・・
- 科学で何でも解決すると豪語して、人には魂も心も無いんだよと嘲笑う理系エリート
- 頭の悪い人間には生きる価値はないと、知能で人を差別する外資系コンサルタント
- 金を増やす仕組みに囚われた銀行家
こういった映画に出てきそうなキャラクター像は、みんなすぐに浮かぶと思う。
大抵、悪役ですよね。
近未来SFのディストピアの悪役。
邪悪な未来の悪役エリートが、「生まれつき知能の低い人間は、屠殺して、肉を “バイオキューブ” にして貧民に食わるのが、科学立国の我が国では合理的なのだ」と語るような。
つまり、悪役エリート像が、少なからぬ作品で流行ってるということは、どこかで人類が総じて「コッチにいくと人間性が歪んで”悪”に堕落して、不味いな」と理解してる現れだな、とも思います。
で、これこそが、アーリマン的な影響に対する、「心ある人々が世界の仕組みを直観して、人類の堕落を予見して描き出したフィクション」を通じた免疫なんだろうな、とも思ってます。
だから、「頭は悪くてもいいから、バカでもいいから、心あるハートで生きようよ」という路線も、人間的には健康な感じもあるよな、と思います。
イメージとしては、「勉強は苦手だけど、友人と青春してる、おバカ高校の子」というような。
詰め込み教育で、エリート意識に飲まれて、冷たい心で生きるようになるより、でも、ハートフルなら、健康で良いんじゃない?って。
ただ、スピリチュアル界隈って、どうも、拗らせた視点を増長させやすい、構造が出来上がってる点もあるな、と思ってます。
例えば、学歴社会や、競争社会に勝てなくて、負け犬意識を拗らせたルサンチマンの塊の人、いますよね。
もし、負け犬意識があるなら、学歴社会や競争社会で勝ち上がっていけば良いのに、上記で書いたようなスピリチュアルな理屈を薄っぺらく触れた結果として。
「逆転スピリチュアル」的に、「そらみたことか、エリートなんて心のない悪だ」「むしろ、俺の方が霊的なことを理解してる優れた人間なんだよ!」と曰うのは、その負け犬意識は癒えてないし、更に悪化してるぞ?と思います。
でも、ここでいう「エリートなんて心のない悪」という視点が、今までは確かに、「一部の理はある」と首を縦に振らざるを得ない事実があった点は、拗らせ逆転スピリチュアルの人にとっては、一抹の救いだったのかもしれない、と思います。
勉強ができ、能力が高く、優秀で、だからこそ、心を失うトラップに陥るのだからエリート(俺を見下してきた俺よりできる奴ら)は悪だ。
俺は、勉強ができなくて、能力が低く、優秀でなく、でも、心を失うトラップは見抜いてるから、あいつら(憎き俺より優秀な奴ら)より上なんだよ、と。
この「知性と優秀さにかまけて、科学の権化と化し、人の心を失った、冷淡で残忍な悪魔的エリート像」が、これからも有効性があるならですが。
先日、今時のアーリマンの動きに関してリーディングする機会を得て、昨今の、アーリマン的エネルギーの影響を受けやすい人たちについて、読み解いていました。
アーリマンは、まるで近未来ディストピア小説の悪役のように、学問と科学に長けた極めて高度な知性を持って、人類を物質界の牢獄に閉じ込めようとしてきます。(つまり、人類にとっては、精神の力を高めるためのジムトレーニングのアスレチックですね)
アーリマン存在が用いる手段は、これまた近未来ディストピア小説のように、あの手この手で人々を扇動し、分断統治を試みます。
アーリマンが用いる第二の手段は、「あらゆるものを扇動することによって、現代の人間を互いに反目し合う小さなグループへ分裂させること」です。
ルドルフ・シュタイナー 悪の秘義
どんどん、人を細分化させて、心と心が通じ合わない有り様にしていきます。
だから、頭を沸騰させるような扇動に呑まれることなく、心あるあり方を保つことが、アーリマン対策として、有効なのですが。
ここで「そらみたことか、エリートなんて心のない悪だ」なんて言い分が、逆に、アーリマン存在の扇動に煽り立てられたらどうでしょうか。
あいつら「エリート、出来る奴らが悪い」「俺らが、苦しんでるのは、あいつらのせいだ」と。
そして逆に、心ある在り方(美徳フルな資質)を持ってるからこそ、煽り立てられる世界の風潮に目を向けず、一方で、自分の中にある真摯な、神聖な想いに目を向けて、だからこそ世界に純粋に貢献したいという人類愛ある想いを持って、人生の限りある時間を無駄にしないために、合理的で、コスパ/タイパを意識して、頭が良くなり、能力が伸びて、出来る側になっていく、純粋な人たちが増えていく天使的な世相になってきていたら。
「あいつらのせいだ」と扇動されている側は、天使的ではなく、何的ですかね。
昨今のアーリマンの動きを霊視して、自分が、ここ数ヶ月、「大人のやり直し勉強」に意識が向いている、基礎のやり直しをしたい気持ち、がわかってきました。
大人のやり直し勉強。
受験勉強、詰め込み勉強をすると、心を失うとか、病むとか、冷たくなるとか、色々言われてました。
そして、歪んだ世相の中で、うまく出来る側に歩むことが出来たことで、歪みを噴出させて、差別的になったり見下したりの応酬が生まれた時代もありました。
あるいは、勉強ができたことで得られた金や権力を、歪みを慰撫するための病んだ行為、歪な性や暴力etc… のために使うなんてことも。
でも、勉強って、見下されないための道具とか、金や権力を得るためのツールでしたっけ。
むしろ、今、わからないことを、わかりたい。出来ないことを、出来るようになりたい。
そのための、手段でしたよね。
この、地球上に生まれて、わからないことを、わかるようになっていく。
脳が発育する順序の制約下にある顕在意識が、神経系と共に育っていくなら、勉強は、人が何かを知り、出来るようになる為の手段として、学問を探究する道を選んだ先人が、彼らと同じ道を辿れるように用意してくれた最高の道です。
もし、その道を歩まないなら。
基礎がわからないなら、応用がわからない。だから、いつまで経っても伸びていかない。
伸びていかないから、出来なくて辛い。出来ない辛さを放置して、別の手段で発散しようとした時に、頭では通った理屈「出来るあっちが悪い、私にだって理由はある」に飛びつきたくなる。
でも、それは根本の治療とならない。
治療は、何かが出来るようになって、育っていきたい自分が、ずっと放置していた、根源的な、成長したいと言う真摯な想いに、目を向けて、話を聞いてあげて、本当にやりたかったことを、出来るようにしてあげることにあるのだから。
なので、基礎的な勉強が必要だと思う。
勉強と言わずに、基礎固めと言ったほうが、良いかもしれない。
物理的に本を読んだり、インプット/アウトプットが必要なので、時間は掛かるけど、でも、何もしなければ基礎は埋まらないので、やる必要がある。
それに、どの段階だとしても、今の自分にとってふさわしい、同レベルの人たちがいる。それは「自分が低レベルな奴らと同じ」なのではなく、一緒に勉強の階段を歩む仲間として、一緒にやろうよ、みたいな、素朴な親愛を持てる仲間たち、だと思う。
(マルチプルアバンダンス特級の天上の存在たちを修了済みの方は、「無毒化されたチーム・アーリマン」のエネルギーに触れてみると、エネルギー的にこの辺り(一緒にやろうよ精神)がわかりやすくなるかもです)