無機質な作業と、感動を呼ぶ仕事の違い。
それにしても、感動という単語も使い古されて、下手に使うと薄っぺらいけど。
本物の感情が宿ると言ってみようか。
より要素分解するならば、
感、すなわち、感じること、何かに触れたり、何かに心動かされたりして、ある人の中に、心象が働くこと。
心動かす、も使い古されてるか…
心って何よ、と。
心、ある人が何かに触れた、その瞬間に、印象を自らの内に持ち、作り出す。
と、ここでは定義してみる。
では、「感」を詳述したので、「情」は、と言うと。辞書的には、(他)人に働く思いやりの気持ち、なさけ、まごころとある。
と言うわけで、感情は、ある人が何かに触れて、その内側に印象を持ったり、他人(あるいは他の存在としよう)に対して、思いを働かせたりする、能動的な動きを持つ行為と、ここではひとまず、定義する。
先ほど記した「本物の感情」は、これが偽物ではない事、内側で何かが働いてもないのに、薄っぺらく上部だけで、何かが働いてるフリをすることだ、と言えると思う。
そこで、タイトルに戻ると。
ここに「あの人は数理の精霊を声に宿している」と書いた。
これは何か。
私が、ただ、この国の、どこにでもあるJTC(日本的大企業)のSIer組織、つまりIT開発組織の現場において、働いている1人のシステム開発エンジニアを指して、彼の様態を示したものだ。
別に、何か特別なことがあるわけでもない、と思う。
いや、詳しくは知らないよ。だって、フルリモートでビデオ通話すらない、音声だけのコミュニケーションしか、してないもの。
彼のSlackアイコンを見ると、おそらくは50代で、明確に男性だ。私は、それしか知らない。
他の情報は特に、ない。
だって、別にあの人のことを、詳しく知る余地も、趣味も経歴も知らないのだ。
知る術もない。日本的SI組織において、発注元から業務を委託された元請けに参画した1人の業務委託作業者である私にとって、彼は、正社員である、おそらく50代の男性、としか、辛うじてわかることはなく、他に知ることはない。
ただ、彼の声は艶やかだった。
会話の内容は、単なるSQLチューニングだった。
Slackのハドル通話で交わされる会話の内容は、開発組織の中で品質担保を目的に実施される、複合インデックスの張り方に関する考察と、DDL設計、及び、タスクコントロールに関するMTGのファシリテートに過ぎなかった。
その声が、艶やかだった。
あくまで無機質な、操作言語について語る彼の声に、それを聞いていて、感があり、情が乗っている、と私は印象を抱いた。
発された声の奥に働く何かが、欲しいと思うほどだった。
その欲求は私が、自らの作業が無機質でつまらないと思っているために生み出されていた。
まさに自らの行為を仕事ではなく、単なる業務フローの歯車のひとつとなる作業単位の実行者でしかないと自分を捉えた結果に生じた私の中の働きが、つまらないという乾いた想念を生み出す感情だった。
結局のところ、彼はその作業の奥にある理屈というか、論理を楽しめているのが見て取れたし、自分はそれを楽しむ感受性を生み出す能力と経験、あるいは知識がないことに、現状の起因があった。
つまり、彼はこの作業の奥にあるものに愛情があった。
愛情も、使い古されててつまらないな…
彼はこの、目の前の作業として生起されている現実、既に生み出されて、その人個人が、「私」として捉えている自分の元に送られた事象に、好意と興味を持って取り組んでいた。
私は、そこに関心がなく、どうでもよいと思い、つまらないと唾棄して、だから世界は能動的に私のもとに現れてくれなくなった。
動かなく、重く、誰もいないような、生命のないところに私は入り込み、あの人の声には数理の精霊が宿り、私の声には彼らが現れなかった。